学生時代における学業とスポーツの両立を活かし、社会人となってからは金融分野、スポーツ、キャリアなど様々な活動を行っている。
赤倉 一行
Akakura Kazuyuki
2004.4-2007.3
横浜Fマリノス
ジュニアユース
全国大会優勝時主将
横浜にある私立浅野中学に通いながら中学三年時には主将として全国大会優勝という快挙を成し遂げる。誰よりもタフに守備の要として活躍。しかし準決勝にて鼻骨骨折を負い、決勝の舞台にはグラウンドに立つことは出来ず。チームの快挙をスタンドから見届ける悔しい経験をする。
2007.4-2010.3
川崎フロンターレ
ユース 全国大会出場
マリノスユースへの昇格を叶わず、活躍の舞台を川崎フロンターレユースへと移す。全くサッカー文化の異なる環境下で苦しみながらも戦術側面からチームを支え新高校2年からはスタメンを獲得し、全国大会進出を勝ち取る。しかし高校2年の夏、全国大会1週間前の練習試合にて肉離れに見舞われ戦線離脱。その後は練習復帰と怪我人リスト入りを繰り返し完全復調が出来ないまま高校3年進級時に退団。そこから京都大学を目指し勉強へと転向。
2011.4-2015.3
京都大学サッカー部、主将
高校時代の怪我もあり大学ではもうサッカーはやらないと考えていたものの、友人からの「京大サッカー部弱いんでしょ?」の一言がきっかけとなり、入部を決断。3年時には十数年ぶりとなるリーグ昇格を果たし、4年時には主将としてチームを纏め、継続的な成長が見込める体制作りとして組織改革に着手。現在も現役京都大学サッカー部や大阪大学サッカー部への支援活動を行っている。
2015.4-2018.3
三菱商事 入社
大学卒業後、三菱商事(株)にて主に北米を取引先とした輸入食肉のトレーディングに関わる。実際に生きた家畜が屠殺されブロック肉へと変わっていく様子、米国内陸上輸送体制、米国西海岸からのコンテナ船への荷役、日本国内物流、店舗オペレーションを業務を通して学ぶ。米国人から言われた「お前ら日本人はカスタマーしか見ず、生き物の命の重みを見ようとしない」という言葉から日本文化に対する見方や仕事に対する考え方を改めるようになる。
2018.5-
外資系 入社
三菱商事(株)にて丸三年勤務後、待遇の良い三菱商事(株)の環境に逆に危機感を感じたこと、若いうちに自らの名前でビジネスを獲得&生み出すことの重要性に気づいたことから転職を決意。個人、法人向けに金融コンサル&営業を行っている。仕事を進めていく上で自分自身が差別化要因になれることに面白みを感じている。「人」が「人」に提供できる価値に関心が強く、個人への資産形成サポートを行いながら、現在ではキャリア教育、スポーツなど活動の幅を広げている。